2日目 — 2005.12.28

シンガポール、チャンギ国際空港到着

日付が変わって28日の1時過ぎ。予定時刻より大幅に遅れてシンガポールはチャンギ国際空港に到着。入国して荷物を受け取ると、Mくんのお姉さん家族が出迎えてくれた。Mくんのお姉さんは、シンガポール人と結婚してシンガポールに住んでいる。久しぶりの再会で、お姉さんとMくん抱き合って涙を流しておりました。こういう再会の仕方って、日本人にはないものだよね。
3台のタクシーに分乗してMくんのお姉さんのお宅まで。タクシーで15分くらいのシンガポールの住宅地でした。公団がつくったHDB と呼ばれる高層住宅です。シンガポール人のほとんどはこういう高層住宅にすんでいるそう。ガイドブックで読んだ知識と実際に来てみるのとは受けるイメージがちがう。百聞は一見にしかずっていうのは本当だね。その日は軽い挨拶とお茶をごちそうになって、シャワーを浴びて寝た。といっても3時を過ぎていたけど。

シンガポールの朝

今日はバンをチャーターして国境を越えマレーシアのMくんの実家までMくんお姉さん家族も一緒に移動。
わたしはこの日は眠れず朝を迎えてしまったのだ。もう眠れそうにもないので、朝の近くのお店へ朝ご飯を買いに行くというのでそれにもついていった。シンガポールという未知の国で見るものすべてが目新しい。
例えば、高層住宅の色遣い。到着したのが深夜だったのでよく見えなかったけれど、日本では考えられない鮮やかな色で塗り分けられている。そして、建築専攻者としてどうしても見てしまう柱や梁の構造。日本よりずっと細い。やっぱり地震のない国だとこれくらいで十分なんだよね。きっと日本で耐震偽造で騒がれている姉歯建築物もシンガポールなら倒壊の恐れなんて微塵もないのだよ。それどころか頑丈すぎるくらいだ。
買い出しにいったお店は道路を2本渡った高層住宅の1階にある売店みたいなところ。シンガポールは法律の厳しいお国柄で、横断歩道がある前後50mで道路を横断したら罰金、みたいなことをどこかで読んだので、Mくんのお姉さんが横断歩道なしの大きな道路をどんどん渡っていく姿にちょっと軽い衝撃を受ける。えっ、罰金、っていう話は、、、?
お店には朝食のためにいろいろなものが売られていた。みんなそこで朝食を買って出かけるらしい。中にカレーが入ってるバンみたいのとかココナッツがまぶしてある甘いおもちみたいのとか買ってお家で食べた。
Cちゃんに今日着ていく服ということで、黒のバジュクロンがプレゼントされました。そして、新品じゃないけどと、黄色のバジュクロンを差し出してくれた。結婚式に出席するとき着るように。そしてそれに合わせて、スカーフも選んでくれた。Mくんにいつ返せばいいのかな? って訊くと、もらっていいんじゃない? っていわれたので、マレー語で「Terima kasih(トゥリマカシー)」といって受け取った。ありがとうの意味。ちなみにCママは赤のインドネシア風の服。

コーズウエイを渡ってマレーシアへ

11人乗りのバンでマレーシアへ出発。荷物を載せたら、かなり狭くなった。行くメンバーはMくん、Cちゃん、Cパパ、Cママ、C兄、Mくんのお姉さんとその子供の2人とわたし。Mくん姉のダンナさんはお休みがとれないということでお留守番のよう。シンガポールは都市国家と聞いていたのでものすごく小さいイメージがしていたけれど、実際に国境まで来るまで走るとかなりの距離があった。そして住宅地は整備されており公園や緑も多く、都市計画がなされていると感じた。それを隣に座ったシンガポール人の女の子(Mくんの姪)に伝えたかったのだけれど、英語でうまくいえなかった。もどかしい。日本に帰ったら英語勉強しようと心に誓う。
そして、シンガポールとマレーシアの間のジョホール水道にかかる埋め立ての橋、コーズウエイが近くなると大渋滞だった。自家用車はさらに混雑している道を通らなければならないみたいだけれど、貸し切りのバンはバスレーンを走れるらしく、渋滞を抜けて出国審査所へ。あっさり出国。そして、入国審査所で入国書類に記入して入国。でもここの税関はかなりちゃらんちゃらん。荷物もX線に通さなくてもOKみたい。でも一応通しておいたけれど。

街の色が変わった ジョホール・バル

税関を通りバス乗り場へゆくと一瞬にして街の色が変わったことが感じ取れた。今までの整然とした街並みから無秩序な雑然とした街並みへ。この感じがアジアっぽい。シンガポールとは違う。ひと言でいうと血が騒ぐって感じ。
ふとわたしはここで自分が両替をしなくてはならないことに気がついた。Mくん家族と一緒だったのでシンガポールでは何もお金を使わずに過ごしてしまったけれど、結婚式が終わった後、ひとり旅に出る前に両替をしているヒマがあるとは思えない。そのことをMくんに伝えると、自分も両替するからそのとき一緒に、ということになった。バンに乗り込んで、ジョホール・バルの中心地へ。ここに車を停めて何軒か両替屋をまわりレートがいいところで円からマレーシア・リンギット(RM)に両替するらしい。Mくんがマレー語と英語で交渉をする。初めのお店では円に替えたいと思われたらしく、交渉決裂。3軒回って一番レートのいい店で両替した。レートは3.18だった。RM1が32円くらい。わたしはホテル代、ランカウイでのアクティビティー代などを考慮して6万両替した。Mくんは大金を両替していた。たかが0.01の差とか思ったけど、それだけの大金を両替すればちょっとのレートの差が大きく跳ね返るのだ。交渉して回るはずだわ。ちなみにマレーシア・リンギットは国外持ち出し禁止なので、マレーシアに入ってから両替するしかないのだ。その辺は中国と同じ仕組み。
そしてバンに揺られて、ジョホール・バル郊外にあるカンフールへ。お昼のパンを買ってくるということ。わたしは日本から持参した水が底をついてきたので、水も買ってきて欲しいとお願いした。しかし、待ってる時が熱かったこと。我慢しきれずに寝ているCちゃんを起こし、外に出たところでMくんとMくんのお姉さんが戻ってきた。

Mくん宅に到着

そこから大きな道を走ってジョホール州の田舎のMくん宅へ。お昼のパンと豆乳を車の中でいただいた。それからバンで走ってMくん宅に1時間で到着。
Mくん宅には予想以上に多い数の人が! そして子供がいっぱい。Mくんは4人姉弟の末っ子で一番上のお姉さん(シンガポールでお世話になった方)とは20も離れているらしい。なので、甥・姪は上は20の男の子から下は幼稚園くらいのおこちゃままでいろいろだった。ちなみに一番大きい二十歳の男の子はシンガポール人なので徴兵制度で今は従軍しているよう。ここでは、Cちゃんのお兄さんが買ってきたチョロQが大人気。いいお土産の選択したねえ。渡したとたん、子供達がみんな遊び始めた。
部屋へ一応荷物を入れて、といってもわたしとCちゃん家族は近所のMくんの妹さんのお宅にお世話になる手はずになっていた。しかし、一度荷物を家に入れて休憩体勢になってしまうと、日本の式からMくんお父さん、お義兄さんの来日のお世話で大変だったCママがダウン。部屋の隅っこで寝始めてしまった。
Mくんのお家を一通り案内してもらって(広いんだわ)、庭で珍しい植物とか見たりしたあと、近くの街に出かけるというので、一緒についてゆくことに。わたしはどうしてもサンダルが欲しかったのだ。最終目的地ランカウイはビーチだというのにビーチサンダルを持ってこなかったからだ。そして何よりも、ここマレーシアでの生活に革のスニーカーでは不便なのだ。裸足が一番気持ちいい。そのためか床もタイル張りになっており、冷たくて気持ちいいのだ。

コタ・ティンギ

近くの街とは、某ガイドブックにも名前は載っていない。でも地図には載ってたかな? コタ・ティンギという街。そこまで車で20分くらい。Mくんちの大きなバンと真ん中のお姉さんの車の2台で出かけた。道中、一緒に乗った子供たちはとか歌とか歌っていたけれど、わたしは車窓の景色に釘付け。途中ゴム園とかあった。そして大きな水道管が! これはシンガポールまで続いていて水を売っている、とMくんの解説がついた。
コタ・ティンギの中心街に到着。ここでまず靴屋さんに入ってサンダルを買う。履きやすくて、濡れても大丈夫な合皮がわたしの希望。いくつか候補があったけれど、シンガポールでお世話になった家の女の子(ヤニちゃん)のお勧めもあって、ベージュの鼻緒があるタイプのものに決定。身長の割に足が小さいわたしは小さいサイズを出してもらった。まあ、これはヤニちゃんが通訳してくれたんだけど。サンダルはRM29.99。日本円にしたら、1000円以下だけれど、Mくん曰く、貨幣価値的にはRM1が日本円の100円くらいに相当するらしい。すると、3000円のサンダルを買ったことになる。まあまあのものを買ったのね。でも日本でビーサン買ってきても1000円はするから、ここで買って正解だってことでいいね。
このあと、マーケットを1周して、そして、夕方になったので、みんなそろってコタ・ティンギのモスクにお祈りに行くことに。そうここマレーシアでは国民の2/3はイスラム教徒なのだ。

ドキドキ、モスク潜入。

モスクに到着。初めはわたしは外でみなさんのお祈りが終わるのを待っていることになってたんだけれど、暗くなってきたからか、スカーフをすればついてきていいよ、ってことになった。イスラム教徒がお祈りしているところになんてそうそう入れないよ。わたしは異文化に対する好奇心でいっぱいだった。ドキドキだね。そして自分がプチうるるんを体験していることを実感。
イスラム教では男と女っていうのが明確に区別されている。これが、たぶんアメリカがいうところの男女平等と相知れないから、イラク戦争に繋がったのかもしれないけど。まあ、アメリカ侵攻前のアフガンなんかで女性が教育を受けられないっていうのはやりすぎだとは思うけれどもね。おっと、旅行記から脱線してしまった。話を元に戻すと、まずモスクの入り口も男女で別。そして、モスクでお祈りする前には足と手と顔と頭を洗って身を清める。そしてモスクのカーテンで仕切られた中で女性はお祈りをする。これはお祈りをしているところを家族以外の男性に見られてはいけないためだそうだ。秘め事なのね。お祈りの時の服装は白い布でできた服とスカートとスカーフを着る。これはモスクで貸し出し可のようだ。でも男の人は普段着の汚いかっこうでもOKなのだ。う〜ん。女ってめんどくさいわね。
わたしは、Mくん家族がお祈りを終えるまでモスクの隅っこに座って待っていた。なぜか正座して。そして、人が出入りするたび、ちらりと見えるカーテンの中の女性信者の姿に、なんともいえない異文化への畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

マレーシア人の胃袋を捕らえた KFC

お祈りを終えた後、夕食へ KFC へ向かう。KFC とはケンタッキーフライドチキンのこと。マレーシアではマクドナルドを圧倒的にしのぐ人気っぷり。これはイスラム教とが鶏をよく食べることと、大いに関係していると思う。在日のマレーシア人がお土産に買ってきてくれというほど、愛されているよう。(ちなみに、日本で売られている鶏肉はイスラム教徒の人はたべられない。なぜかというと、鶏もイスラム教のお祈りのようなものをして絞めたものしか食べられないそう。)KFC に子供たちは大はしゃぎ。しかしこの人数で KFC に殴り込みとはM家族もすごいよな。1階席をほぼ占領しての食事。
この KFC、日本のケンタッキーと違っておいしいんだわ。肉が違うのかな? 味付けも日本だと衣に付いてしまっているけれど、マレーシアのはマレーシア風とタイ風のソースを自分で選んでつけられる。おいしくって3つも食べてしまったよ。20人近くで押しかけて、会計は6000円っていっていたので、マレーシア・リンギットにすると RM200 くらいだったのかな? 結構な大金だよね。ここはMくんのおごり(笑)。ごちそうさま。ちなみに、マレー語には「いただきます」と「ごちそうさま」に当たる語がないらしい。なにも言わず食べ始めるのってなんだか違和感あるよね。日本人にとって「いただきます」は食べるぞっていう合図だからね。
Mくんのお家に帰ると8時半過ぎ。Mくんのお姉さんたちが市場でおみあげに買ってきてくださったマンゴーを食べる。うまかった。そして、今日は遅くなったからと親戚の家に移動せず、客間で雑魚寝ということになった。これが明日の朝の修羅場への複線となる。
ちなみにわたしは昨日寝ていなかったので、一気に眠くなり、さっさとシャワーを浴びさせてもらって、まだ電気が付いていたのでアイマスクをし、物音が気になるので耳栓をして寝てしまった。

CAAS

チャンギ国際空港第1ターミナル。予定より1時間遅く到着。

高層住宅

シンガポールの高層住宅。シンガポール国民のほとんどがこのような住宅に住んでいる。

梁・柱

地震のないシンガポールでは高層住宅というのに梁や柱が細い。姉歯建築もびっくり。垂直の固定加重だけ支えればよいとこんなに柱は細くていいのだ。

売店

高層住宅下の小さな売店。朝食になりそうなものがいろいろと売っている。

タバコのパッケージ

禁煙を呼びかけるためかグロテスクな写真付きのタバコ。シンガポールらしい。

コーズウエイからの眺め

シンガポールの出国審査を受けマレーシアの入国審査を受けにコーズウエイを車で渡る。初の陸路での国境越え。

ジョホール・バルの街

ジョホール・バルの中心地。街並みの色が変わった。

マレーシアの道路

マレーシアは日本と同じ、左側通行。Mくんの田舎までジョホール・バルから1時間ほどのドライブ。

プレゼント

MくんとCちゃんに結婚祝いの品々がきれいに並べられていた。

庭

Mくんのお家の庭。ジャングルならたっぷり味あわせてあげると行く前にいっただけあって、お家の周りはジャングルだった。

マレーシアのおやつ

お茶請けに出された何かの実の甘酢漬けと緑色のデザート。

靴屋

サンダルを買ったお店。マレーシアでは有名なお店らしく行く街行く街で見かけた。

コタティンギのモスク

コタ・ティンギのモスク。アラビア語の祈りの言葉が流れる中、モスクに入ってお祈りを見学。

KFC

マレーシア人が大好きな KFC。

カーネルおじさん

メガネをかけていないカーネルおじさん。

フライドチキン

ものすごくジューシーでおいしかった KFC のフライドチキン。